【転職事例】大手ファームのシニアマネージャーからポストコンサル転職で事業開発のプロフェッショナルへ。大手、ベンチャーを渡り歩いて得た事業会社での成功の秘訣に迫る

今回は、マネージャー・シニアマネージャーからのキャリアとしてよくご相談いただく「ポストコンサル」転職に関するインタビューです。
Kさんは、大手外資系ファームでキャリアをスタートし、新規事業支援を中心に活躍。34歳でシニアマネージャーへ昇進。さらに、大手日系ファームに転職後、一転して大手保険会社へ。5年もの間、新規事業開発をリードされ、さらにAIベンチャーを経て現職の大手電機メーカーへ。コンサルで身に付けたスキルに加え、持ち前の「適応力」で、さまざまなフェーズの事業会社で成功を収められました。

今回キャリアをサポートしたアクシスコンサルティングの河東が、コンサルタントが事業会社で長く活躍し続ける秘訣(ひけつ)や、キャリアで迷われた際の考え方などを伺いました。

 

目次
  1. 34歳でシニアマネージャーに昇格、新規事業開発の面白さを知ったことがキャリアの軸に
  2. 「一人称で仕事がしたい」という気持ちが芽生え、年収ダウンも大手保険会社の新規事業室へ
  3. NPO運営を通してキャリアを加速度的に成長、キャリアの幅を広げるためAIベンチャーへ
  4. Big4から年収数百万アップのオファーも、「ブレない事業開発への想い」で大手電機メーカーへ
  5. 既存の組織構造の中で役割を見いだすことがポストコンサル活躍の鍵

34歳でシニアマネージャーに昇格、新規事業開発の面白さを知ったことがキャリアの軸に

河東
新卒でコンサルのキャリアを選ばれた理由は何でしたか。

Kさん
スピード感があり、学ぶ機会が多い環境で成長したいと思ったからです。当時は国家公務員の試験にも合格していましたが、若いうちにいろいろ吸収したいと考えてコンサル業界を選びました。

河東
最初の大手外資系ファーム時代に印象に残っているプロジェクトはありますか。

Kさん
大手通信会社の新会社立ち上げのプロジェクトが印象深いです。2011年頃での新たなモバイル通信技術の導入に伴い、それを活用した新規事業の立ち上げに携わりました。そこで「新規事業の立ち上げの面白さ」を知り、それが今後のキャリアの方向性を定めていく1つのトリガーになったと思います。

河東
大手外資系ファーム時代、速いスピードでマネージャー、シニアマネージャーへと昇進をされていますがその理由はどこにあると思いますか。

Kさん
当時は現在ほど労働時間に厳しい制約がなかったため、がむしゃらに働けたことが1つの要因だと思います。どのプロジェクトも自身の成長につながる貴重な学びの機会となり、良い上司にも恵まれました。

「1,000本ノック」のような厳しい指導にも必死に食らいついて取り組んだことが、私のスキルの向上と早期の昇進につながったと感じています。ただ、このような経験は現在の働き方と異なる面もあるため、今の若手の方には参考にならない話かもしれませんね。

河東
その後、初めて転職を考えたきかっけは何でしたか。

Kさん
シニアマネージャーに昇進するタイミングで、キャリアの方向性に疑問を感じ始めたのがきっかけでした。昔から漠然と「生涯、現場にいたい」という想いを持っていたのですが、上位職になるにつれて現場から離れていく感覚があったのです。

具体的には案件獲得や部下の管理が主な仕事になっていく中、「プロジェクトの内容は何でもいいから、とにかく数字を上げよ」という会社の方針にやりがいを見いだせず、自身が目指すキャリアとは違うなと感じるようになりました。

河東
そういった思いから転職を考え始めたわけですね。次の大手日系ファームはどのように決められたのですか。

Kさん
当時はまだ若かったですし、同じコンサル業界への転職なので年収アップを重視しましたね。ただ、戦略的な案件をもっと学びたいと考えていたためハンズオンで関われる環境を求めていました。その際、大手外資系ファームも見ましたが、正直どのファームも似たような印象を受けました。

そんな中、アクシスコンサルティングさんには初めての転職で非常に丁寧に対応していただき、時間をかけて相談に乗ってもらいました。当時、大手外資系ファームのシニアマネージャーという肩書があればどこでも話を進められる状況だったのです。

しかし、「そのファームに行くのであれば、今の環境を変える必要は本当にありますか?」とブレーキをかけてくださることもあって、私のキャリアをすごく親身になって考えてくださっているのだなと感じました。

最終的に大手日系ファームを決めた理由は、年収面に加えて会社の戦略チームの立ち上げフェーズに携われるという点に魅力を感じたからです。自身が率先していろいろなことができそうだと思いました。

「一人称で仕事がしたい」という気持ちが芽生え、年収ダウンも大手保険会社の新規事業室へ

河東
大手日系ファームでは戦略チームの立ち上げから経験されていますよね。なぜそこから次に事業会社への転職を考えられたのですか。

Kさん
コンサルタントとしてのキャリアを積む中で、徐々にコンサルティングファームの限界が見えてきたからです。当時、新規サービスや事業の立ち上げの検討フェーズから決定までを担当していましたが、実装は各社に任せるという形でした。

たとえば、大手企業のプロジェクトを通じて「この事業は面白そうだ」と思っても、その先に関われないのが心残りでした。最後まで責任を持って事業を推進したいと思ったのです。かっこよく言うと「一人称で仕事がしたい」という気持ちが芽生えてきたため、ファームを卒業しようと考えました。

河東
次の転職先である大手保険会社を選んだ理由は何でしたか。

Kさん
もともと保険業界に行く予定はなかったのです。新規事業関連のポジションを探している中、たまたま知り合いの紹介でオファーをもらいました。ただ、その決断には2つの課題がありました。

河東
何が課題だったのでしょう。

Kさん
1つは、コンサルティングファームから事業会社へ移る際「事業会社で求められる動き方が自分にできるだろうか」という不安です。

そしてもう1つは年収のダウン。大手日系ファーム時代にいただいていた年収2,000万円から、大手保険会社では1,300万円まで下がるため、その差額をどのように捉えるかが課題でした。欲を捨てるべきか、ここは誰もがちゅうちょするところだと思います。

ただ、税金を含めると手取りは300〜400万円の違い。私の中では今後のキャリアを見据えての「勉強代」「人生経験」と考えていました。一方、妻には「時間の融通が利く仕事の方が、長期的に見ると人生が豊かになる」と説明して理解を得ました。

河東
そのような大きな決断をできた理由を教えてください。

Kさん
自身で事業開発ができるポジションだったからですね。欲を言うと「ゆくゆくは、新規事業を社内で立ち上げて、その後スピンアウトして新会社の社長になってみるのも面白そうだ」と考えていました。実際、先方にその話をすると「その心意気はすばらしい。ぜひうちでチャレンジしてほしい」という声をかけてもらったのです。

河東
そのタイミングでの転職についてご自身でどう評価していますか。

Kさん
ちょうど成長が飽和してきたタイミングだったので適切な時期だったと思います。逆に若すぎる時期に転職をしていたら、通用するスキルがまだ十分ではなかったでしょう。また、コンサルタントにとどまり続けていたら案件獲得が主な仕事になっていたと思います。マネージャー、シニアマネージャーのロールを経験していたからこそ、事業会社でも即戦力として活躍できるチャンスが得られたのだと思います。

NPO運営を通してキャリアを加速度的に成長、キャリアの幅を広げるためAIベンチャーへ

河東
続いて、大手保険会社での具体的な業務内容について教えてください。

Kさん
まさに新サービスの事業開発です。具体的には既存の保険商品に付加価値を提供する取り組みや、他社とのアライアンス、既存ビジネスの価値向上などの構想から携わりました。初めての事業会社でしたが、コンサルタント時代のスキルが意外なところで活きましたね。たとえば、状況整理や業務のキャッチアップ力などは事業会社の中で重宝されました。

一方で、苦労した点もあります。それが社内の調整やネゴシエーションの多さ。「この説明の場は本当にいるの?」と戸惑うことも少なくなかったです。しかし、プロパー社員の方たちはプライドを持って働かれているので、外部から来た人間としてはそれを尊重しながら動く必要があります。それはコンサルタント時代とは全く違うスキルでした。

河東
社内の人間関係や組織の力学を理解することが大事だということですね。

Kさん
そうですね。たとえば事業会社へ転職する際に、コンサルタント時代のように「ダメなところは指摘する」といった姿勢は、受け入れられずに組織内で孤立してしまう可能性があります。実際、ポストコンサルで事業会社に行ったものの、期待したほど活躍できないという方もいらっしゃいます。そういった方々には「社内での立ち位置を考えてみてはどうでしょうか」とアドバイスをさせていただくことがあります。

実際、私自身は最初の1〜2カ月ほど「コンサルから来たお客様」として優遇されていた部分はありました。しかし一方で、それでは事業会社で成果を出すことはできないため半年間かけて社内の動き方を身に付けました。ただ「外資系ファーム出身」というタグが良い意味で社内の人脈を築くきっかけとなり、結局、居心地よく5年間ほど大手保険会社に在籍していました。

河東
大手保険会社での5年間、新規事業開発以外にも何か印象に残っていることはありますか。

Kさん
はい。実は会社での経験を活かしつつ、新たな挑戦としてNPO活動も始めました。これが予想外にキャリアを広げることになりました。

当時の上司と一緒に立ち上げたもので、具体的には大手保険会社での業務を通じて構築した自治体や大学とのネットワークを活用して地域に根差した活動をしています。たとえば、東京都内のある市を拠点とした「子ども食堂」の運営などです。

また面白いエピソードとしては、上司とともに研究機関にも飛び込んだのです。そして、その研究機関の担当者も私どもの活動に対して「面白いね、一緒にやろう」と興味を示してくださりました。こうした活動を通じて、同じようなマインドを持った人たちがさまざまな分野にいることに気づきました。

NPO活動は完全なボランティアですが、将来的には「自分が作ったサービスはこれなのだ」と胸を張って息子に伝えられるようなものを残したいですね。

河東
NPO活動を通じて、ビジネス以外の分野でも新たな可能性を見いだされたのですね。そういった中で、大手保険会社から次のキャリアを考え始めたきっかけは何でしたか。

Kさん
2016年から2020年頃、生命保険業界では「新規事業立ち上げ」のムーブメントがありまして、それが一段落し、本業回帰への流れが出始めたのがきっかけですね。保険のマーケティングとなれば長年保険に携わってきた方が適していると感じ、私は違う道を探すことにしました。

河東
次はAIベンチャーに転職をされています。こちらはどのような軸で選ばれたのでしょうか。

Kさん
これまでと同様に新規事業開発とプロダクト作りを最優先にしました。加えて、同規模や同職種の企業では似たような環境になってしまうため、キャリアの幅を広げるという観点から少々違う味付けを取り入れようと考えたのです。

そこで目を付けたのがベンチャー企業でした。特に転職先のAIベンチャーは業界の中でも著名な人たちが多く在籍していることが魅力に感じたのです。年齢的にもベンチャーへの挑戦がギリギリのタイミングだと感じました。

また、大手保険会社に在籍中から専門職大学院に通い始めていて、AIベンチャーに在籍中に修士号を取得しました。こうした学びも新しい挑戦を支える力になったと思います。

Big4から年収数百万アップのオファーも、「ブレない事業開発への想い」で大手電機メーカーへ

河東
AIベンチャーでは具体的にどのような業務内容に取り組まれたのですか。

Kさん
AIテクノロジーを活用したビジネスソリューションの開発に携わりました。私の主な役割は、クライアント企業のビジネス課題やイシューを発見し、それらにAIエンジンや画像解析技術がどのように適用できるかをエンジニアと共に検討すること。そして、実際にビジネスに落とし込むところまでを描いていくことです。

そこでもコンサルで培ったキャリアが活きましたね。単なるアプリ開発ではなく、AI技術に深く踏み込んでプロダクトを作り込んでいけたのはAI専門の会社だからこそだと感じました。

特に印象深いのは、私が携わっていたAIアルゴリズムで特許を取得できたことです。これはベンチャーならではのスピード感や技術の最前線にいられたからこそ。テクノロジー×ビジネスの両面を理解できた貴重な経験です。

河東
ベンチャーと大手企業を両方経験された上で、それぞれどのような人材が適していると思いますか。

Kさん
ベンチャーに合う人は、「本当にこれだけをやりたい」という強いこだわりがある人だと思います。キャリアをとがらせていきたい、やりたいことを追求したいと、ある意味で頑固なまでに強い意志を持って自身で切り開いていける人です。

一方、大手企業では既に確立された組織風土の中で多くのステークホルダーの意見を考慮しながら仕事を進めなければなりません。そのため、時には自身の信念や考えを曲げなければならない場面も出てきます。こうした状況では、調整力や立ち回り力といった能力が不可欠です。これはベンチャー企業とは異なる種類の難しさですね。

個人の価値観やキャリアステージによって適する環境は変わってくるのかもしれません。

河東
大手電機メーカーへの転職を決めた理由を教えていただけますか。

Kさん
コンサルへの復帰も考えたのですが、ここでも事業開発を重視したいという思いがありました。また、ベンチャーでの経験を経て私には大きめの企業の方が合っていると感じたのも理由の一つです。

大手コンサルティングファームからは当時の年収×1.5倍の水準となるオファーをいただき、給与面では大きな差があったのです。しかし、私は「自己実現ができるかどうか」という価値観を大事にしました。それにお金を稼ぐことは労働以外にも選択肢はあります。お金では得られない価値を得たいと考えて大手電機メーカーへの転職を決めました。

既存の組織構造の中で役割を見いだすことがポストコンサル活躍の鍵

河東
大手電機メーカーでの業務内容について教えてください。

Kさん
現在は電機メーカーの家電部門を担当している会社で、主に戦略を描いたり、会社の方向性を決めたりといった業務を担当しています。さまざまな事業課題がありますが、まさにコンサルティングのアプローチで一つひとつ解決に向けて取り組んでいます。

河東
転職して良かったと感じる点はどちらでしょうか。

Kさん
既存のプロダクトを持つ大企業ならではの利点を感じています。新規事業を立ち上げる際も、ゼロからのスタートではなく、既存の資産や顧客基盤を活用できるのですね。

たとえば、既存製品との相乗効果を考えたり、確立されたブランドイメージを新事業に応用したりできる。また、長年の事業展開で培ってきた技術やノウハウ、ネットワークなどさまざまな「フック」を用いてアイデアを実現できる点が魅力だと思いますね。

河東
今までの経験から、あらためて、ポストコンサルのキャリアを成功させるコツはどのようにお考えですか。

Kさん
コンサルから事業会社へ行く場合は、意識改革が大事だと私は思います。コンサルでは自身でプロジェクトを作り出すことが仕事の中心でしたが、事業会社では既存の組織構造の中で役割を見いだす必要があります。つまり、事業会社では既に「椅子(ポジション)」があり、その椅子に自身がフィットするかを考えなくてはなりません。それには組織の構造や働き方をよく観察することが重要です。

たとえば、「前任者はどんな理由で辞めたのか」「そのポジションにはどういった期待値があるのか」など、組織の文脈を理解すること。こういった点を深く観察し、組織の一員として動けるかどうかがポストコンサルとして事業会社で活躍できる鍵になると思います。

河東
最後に、ポストコンサルのキャリアを考えている方へアドバイスをお願いします。

Kさん
振り返ってみると、私は自身のスキルを過小評価していた部分があったと感じます。しかし、実際にさまざまな企業で働いてみるとコンサルでの経験が想像以上に役立つことに気づきました。

ですから、コンサル出身の方には自身の経験やスキルにもっと自信を持っていただきたいと思います。それに加えて適応力を身に付けさえすれば、おそらくどちらへ行っても「無双」できるはず。

大事なことは「何をやりたいのか」という自分なりの羅針盤を見つけることです。私の場合は「新規事業開発に携わり、最後まで責任を持って推進したい」という明確な目標があり、羅針盤があったからこそ、さまざまな業界を渡り歩けたのだと思います。

また、年収の違いが思うほど生活の質に影響しないのではないかという点も付け加えたいです。たとえば、年収2,000万円と1,500万円では税金などを考えると手取りの差はそれほど大きくありません。さらに、副業や投資といった給与以外の収入源を考慮すると、必ずしも給与だけでなく仕事のやりがいや生活とのバランスを取ることもできるはずです。

ポストコンサルのキャリアを考える際は、こういった視点で考えてみてもよいのではないでしょうか。

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