戦略コンサルティングファームの最高峰と言われることも多いマッキンゼー・アンド・カンパニーは、人材の移り変わりが激しいことでも有名です。
そのため、同社では「退職」は決してネガティブなものではありません。元マッキンゼーの社員の中には、同社で大手企業における重要性の高い課題に取り組む中で高いスキルを身につけ、退職したのちに輝かしい実績を残す方が数多くいます。
今回の記事では、著名なマッキンゼー・アンド・カンパニー出身者20名と、退職後のキャリアについてご紹介します。
※2024年9月の情報です
【マッキンゼー・アンド・カンパニー出身の有名人一覧:目次】
- 岩田林平 氏
- 南場智子 氏
- 内海康文 氏
- 大石佳能子 氏
- 加藤勇志郎 氏
- 郡谷康士 氏
- 柴山和久 氏
- 清水昇 氏
- 高島宏平 氏
- 三村真宗 氏
- 安達保 氏
- 石井てる美 氏
- 伊藤賢司 氏
- 伊藤良二 氏
- 上山信一 氏
- 大前研一 氏
- 勝間和代 氏
- 川鍋一朗 氏
- 川本裕子 氏
- 木南陽介 氏
マッキンゼー出身の有名人①岩田林平 氏
岩田林平氏はマッキンゼー退職後にクックパッドに入社、現在は同社の実質的な社長にあたるPresident・代表執行役に就いています。慶應義塾大学卒で、社会人になってからノースウェスタン大学でMBAを取得しました。
岩田氏は同大学卒業後の1996年に、現在の三菱UFJ銀行の前身の一つである三和銀行に入行。その後の同行からの出向という形で現在の国際協力銀行にあたる、日本輸出入銀行に入行します。
その後これらの銀行を退職し、ノースウェスタン大学のMBAコースに入学、2005年に修了しています。マッキンゼーに入社したのはMBA修了後のこと。入社後は順調のプロモーションを重ね、2012年にパートナーに就任します。
その後マッキンゼーを退職し、2016年にクックパッドの執行役として入社。その後程なくして現職である代表執行役(後にPresidentという肩書きが追加)となり、創業者の佐野氏と共にクックパッドのビジネスをリードしています。現在は日本支社のCEOを福崎氏に任せ、佐野氏とともにイギリスに同社の拠点を築き、海外ビジネスの拡大を進めています。2023年にクックパッドの代表取締役CEOを退任しました。
※参考:
https://startup-db.com/officers/NaAl9XGTVD3YG2LK
https://pdf.irpocket.com/C2193/CaoZ/acVo/MlYT.pdf
マッキンゼー出身の有名人②南場智子 氏
マッキンゼー退職後に設立した企業であるDeNAが急成長し、日本の有名企業の一つとなった南場智子氏。現在はプロ野球DeNAベイスターズのオーナーになっています。津田塾大学卒、ハーバード大学にてMBAも取得しています。
南場氏は津田塾大学を卒業後、すぐにマッキンゼーに入社。2年強働いたのち一度退職して、前述のハーバード大学のMBAを取得しています。MBA取得後マッキンゼーに戻り、日本で女性として歴代3人目となるパートナーまでプロモーションしました。
その後、1999年にモバゲーなどで知られるDeNAを設立し、同社の取締役社長に就任。IT分野での専門性が高く評価され、2003年には内閣IT戦略本部員、2004年には規制改革・民間開放推進会議委員にそれぞれ招聘されました。
その後、家族の看病に専念するため、2011年にDeNA本体の社長は退任し、現在は会長として同社に参画。そして2015年より現職のDeNAベイスターズのオーナーとなっています。
※参考:https://dena.com/jp/company/officer.html
マッキンゼー出身の有名人③内海康文 氏
コンサルタントとして独立してビジネスをおこなうケースも少なくありません。内海康文氏は現在、自身が立ち上げた株式会社HRCの代表取締役として、コンサルティングビジネスを展開しています。大阪大学経済学部卒で、シカゴ大学のMBAも取得しています。
同大学卒業後、内海氏は現在のJX金属にあたる日鉱金属に入社。その後、社内選考を経てシカゴ大学のMBAスクールに入学しました。MBA修了後は新規事業立ち上げなどに従事しましたが、やがて同社を辞めマッキンゼーに入社。同社では製造業やエレクトロニクスなどのプロジェクト案件に従事しました。マッキンゼー退職後にはチューリッヒ保険のシニアマネージャーとして入社。その後通販事業「チューリッヒダイレクト」の管理部マネージャーに就任しました。
同社退職後も複数のコンサルファームでの経験を経た後、企業変革と人材成長の両立をテーマとしたコンサルティング・ビジネス教育サービスを手がけるHRCを立ち上げました。自著に「起死回生のターンアラウンド」があります。
※参考:
https://www.business-architect.co.jp/company/president.html
https://hrc-japan.net/overview.html
マッキンゼー出身の有名人④大石佳能子 氏
大石氏もまた、マッキンゼー退職後は実業家として活躍しています。現在は医療・ヘルスケア関連のコンサルティングをおこなうメディヴァの代表取締役を務めています。大阪大学法学部および、ハーバード大学大学院のMBAを修了しています。
大石氏は同大学卒業後まず日本生命に入社。しかし程なく退職して前述のハーバード大学にてMBAを取得。その後1997年にマッキンゼーに入社します。当初マッキンゼーはニューヨークにて入社し、1年ほどして日本支社に転籍しました。1998年に自身が出産を経験する中で、日本の医療体制の課題を感じ、医療分野に貢献する方法を模索。やがて2000年に、現職の全身に当たる西南メディヴァを設立しました。当初は医療法人と協働して診療所を実際に運営。医療現場の課題の洗い出しと解決策の模索もおこないました。
同社を運営する傍ら、アステラス製薬、資生堂を始め複数の企業の監査や取締役も歴任しています。また、「診療所経営の教科書〈院長が知っておくべき数値と事例〉」など複数の書籍の監修・共著もおこなっています。
※参考:https://mediva.co.jp/company/management/
マッキンゼー出身の有名人⑤加藤勇志郎 氏
マッキンゼーの経験をもとに、若くして起業し自らトップになったのが加藤勇志郎氏。現在は自身が創業したキャディ株式会社の代表取締役を務めています。東京大学経済学部卒です。
加藤氏は「偏差値38から東京大学入学を果たした」「マッキンゼーの最年少マネージャー」といった輝かしい経歴の持ち主。2014年に同大学を卒業したのち、マッキンゼーに入社し、わずか2年後の2016年にマネージャーに昇格。最終的にシニアマネージャーまでプロモーションを果たしました。同社では製造業におけるIoT/AI領域のプロジェクトを担当。やがて担当プロジェクトの中で製造業の非効率性や更なる発展の余地を感じるようになりました。製造業の発展によりダイレクトに貢献すべく、2017年に自身でキャディを立ち上げ、現職である代表取締役に就任しました。3年後には同社の社員が100名を超えるなど、順調に組織を拡大させ、2024年1月時点では社員数535名を達成。正社員の中途採用比率が98%(2021年度)と、ネクストステージにステップアップした人材が活躍できる企業となっています。
※参考:https://caddi.com/company/message/
マッキンゼー出身の有名人⑥郡谷康士 氏
郡谷康士氏もまた、マッキンゼー時代の経験を活かして輝かしいキャリアを築いています。郡谷氏は現在、自身が設立したTVISION INSIGHTS株式会社の代表取締役社長を務めています。東京大学法学部卒。
郡谷氏は同大学の卒業後の2005年にマッキンゼーに入社し、国内外の事業戦略・マーケティングプロジェクトに数多く参画しました。この中で、後々のキャリアの土台となるマーケティングに関する知見を高めていきました。同社退職後はリクルートの中国部門の戦略担当に就任。その後、中国にてデジタル広告の代理業をおこなう游仁堂(Yo-ren Limited)を創業しました。そして2015年に現職にあたるTVISION INSIGHTS株式会社(現:REVISIO株式会社)を設立し、同社の代表取締役社長として現在に至っています。
同社はテレビを対象としたメディアリサーチ、テレビCM・番組の効果測定などをおこなう企業。郡谷氏はデータを活用したマーケティング戦略のスペシャリストとして活躍しています。2022年10月には社名をREVISIO株式会社と改名し、配信をはじめとする新しい視聴体験・メディア環境に合わせ、ビジョンを再考・再定義するべく邁進しています。郡谷氏はKindleにて「データで再構築するテレビマーケティング」を共著しており、今後も広告の新たな可能性から、時代に適した戦略を提言していくことが期待されているご人材です。
※参考:https://markezine.jp/author/1132
マッキンゼー出身の有名人⑦柴山和久 氏
マッキンゼー出身者のなかでも独特なキャリアパスを経て起業に至ったのが柴山和久氏。近年急速に知名度を高めているウェルスナビの創業者であり、代表取締役です。東京大学法学部卒であり、ハーバード・ロースクールを卒業しています。
ハーバード・ロースクールでは金融取引法を専攻。卒業後は日英で都合9年間財務省に勤め、その後欧州の経営大学院にあたるINSEADを卒業。同校では金融工学を学びました。2010年にマッキンゼーに入社し、ここまでの金融取引法や金融工学に関する知見を活かして、ウォール街にて10兆円規模の機関投資家の資産運用・リスク管理をサポート。その中で次世代の金融インフラを構築したいとの思いを高め、2015年3月に同社を退職しました。
その後、プログラミングスクールTECH::CAMPに参加したのち、のちに手がけるサービスのプロトタイプを開発。2015年4月にはウェルスナビを設立し、個人向けの資産運用サービスを展開しました。そして、冒頭の通り現在も同社の代表取締役を務めています。尚、ロースクールの卒業により、ニューヨークにおける弁護士資格も持っています。
※参考:https://corp.wealthnavi.com/aboutus/officer
マッキンゼー出身の有名人⑧清水昇 氏
清水昇氏もまた様々な業界で活躍した経歴を持っています。清水氏は現在は第一線を退いておりますが、以前は医薬・ヘルスケア関連のソリューション・コンサルティングサービスをおこなうグローバル企業、クインタイルズ・トランスナショナル(現在はIQVIAサービシーズ)の日本支社長を務めていました。東京大学農学部卒で、ペンシルバニア大学ウォートン・スクールにてMBAを取得しています。
清水氏は1980年に同大学を卒業後、味の素ゼネラルフーヅに入社しました。その後、JPモルガン銀行を経て1991年にマッキンゼーで活躍。1997年からは医療機器の商社大手であるボストン・サイエンティフィック・ジャパンの副社長を務めました。
その後は医療・ヘルスケア関連を渡り歩く形となり、医師向け情報サイトのWebMD Japanの代表取締役社長などを歴任しました。2009年に冒頭紹介したクインタイルズ・トランスナショナル・ジャパンの代表取締役に就任。その後2011年には同職を退き、しばらくの間、日本CSO協会会長を務めました。
※参考:https://crm.microport.co.jp/news/1/
マッキンゼー出身の有名人⑨高島宏平 氏
マッキンゼー退職後に食品販売の分野での新たなビジネス開拓に成功した高島宏平氏。現在は宅配食品サービス大手、オイシックス・ラ・大地の代表取締役社長を務めています。東京大学大学院を工学系研究科にて修了しています。
同大学院を卒業後、高島氏は1998年にマッキンゼーに入社します。Eコマースグループのコアメンバーとして活躍し、日本にEコマース普及にも大きな貢献を果たしました。一方その時期から大学院時代のメンバーと定期的に新規ビジネスに関するディスカッションをおこなっていたとのこと。ECの知見や定期的なディスカッションの中で、インターネットを活用した食品販売のビジネスの開拓に着想を得て、現在社長を務めているオイシックス・ラ・大地を創業しました。
同社のビジネスを拡大させる傍ら、食品・情報技術などの専門家として様々な政府関連の委員・団体にも参加しています。また、「ぼくは「技術」で人を動かす――今いるメンバーで結果を出す—チームリーダーのレシピ—」など複数の著書があります。
※参考:https://www.oisixradaichi.co.jp/news/posts/240125albirex/
マッキンゼー出身の有名人⑩三村真宗 氏
IT・テクノロジー分野でめざましい活躍を見せているのが三村真宗氏です。三村氏は電子上の経費システムの大手、株式会社コンカー(日本でビジネスを展開する合弁会社)の代表取締役を務めています。慶應義塾大学法学部を卒業しています。
同大学を卒業後、1993年に日本支社の第一期新卒メンバーとしてSAPジャパンに入社します。同社では顧客管理にあたるCRMや製品戦略などの業務に従事。2006年にマッキンゼーに入社し、金融・通信・ハイテク関連のプロジェクトに参画します。2008年〜2009年にかけてはマイクロソフトなど複数の企業を渡り歩いたのち、2009年〜2010年にかけては電気自動車や電気自動車タクシーの実証実験に参加しました。
その後2011年より日本でのコンカーの代表取締役に就き、現在に至っています。同社の日本の代表として、基幹サービスである経費決済アプリの日本語版の開発および、日本でのビジネス拡大に注力し、2024年1月に代表取締役社長を退任しました。
※参考:https://www.concur.co.jp/blog/article/concur-managementchange
マッキンゼー出身の有名人⑪安達保 氏
安達保氏は、現在は教育関連サービスの大手ベネッセホールディングスのCEOを務めています。東大工学部卒で、その後マサチューセッツ工科大学スローン・スクールにてMBAも取得しています。
社会人としては1977年に三菱商事に入社。MBAを取得したのは同社在籍中で1983年のことでした。帰国後は情報産業本部に在籍し、第二電電(現在のKDDI前身の一つ)への出稿も経験しています。
1988年にマッキンゼーに転職し、このあと紹介する大前研一らとコンサル業に従事。前職の情報産業の知見なども活用し、ハイテク産業・製造業などの製品市場戦略や企業ビジョン策定などのプロジェクトに従事。1995年にはパートナー就任を果たします。
1997年にマッキンゼー退職後は、GEキャピタル・ジャパンの事業本部長を経て、その傘下で、自身が買収に携わった日本リースオートの代表取締役に就任します。その後、2003年には米国のPEファンドのカーライル・グループの日本代表(マネージングディレクター)に就任。約13年間にわたる同社でのビジネスの中で中堅企業中心に20社以上に投資を行い、事業再建を実現しました。そして2016年より現職に就いています。2022年に取締役に就任しました。
※参考:https://www.benesse-hd.co.jp/ja/about/management/executive/adachi.html
マッキンゼー出身の有名人⑫石井てる美 氏
続いてはマッキンゼーOBとしては異色の経歴を持つ、石井てる美氏。現在はワタナベエンターテインメントのお笑い芸人として活動しています。東京大学の文科三類で入学し、理系に転向し工学部卒。そのまま東大工学部の修士も卒業しています。
幼い頃に海外で過ごした経験や海外インターンシップ、そして自然に身についていたという課題に対し仮説を立て、検証をおこなう「コンサル的な」アプローチ能力を活かして、2008年にマッキンゼーに修士新卒として入社しました。
マッキンゼーでは当初は激務ながらも充実した日々を送っていたそうですが、入社して1年立つ頃にプロジェクトで協働した上司との人間関係の不和なども要因に、次第に体調を崩すようになりました。
そこで1年4ヶ月ほど経った2009年夏に同社を退社。有休消化の期間中にワタナベエンターテインメントの養成所であるワタナベコメディスクールに入り、翌年卒業しました。その後は現在に至るまで、モノマネや持ち前の英語力を活かしたネタを軸にお笑い芸人として活躍しています。
※参考:
https://www.watanabepro.co.jp/mypage/40000073/
https://gaishishukatsu.com/archives/101709
マッキンゼー出身の有名人⑬伊藤賢司 氏
続いての元マッキンゼーの著名人は、自ら起業した会社の代表取締役に就任した伊藤賢治氏です。現在は化粧品通信販売ビジネスの持ち株会社であるラフラインホールディングスの代表取締役を務めています。慶應義塾大学工学部卒で、社会人になってからコロンビア大学でMBAを取得しています。
慶應大卒業後、まずは東京海上日動に就職。同社では商品企画や投資運用戦略の策定に携わっていました。その後に先に紹介したMBAを取得したのちマッキンゼーに転職。そして、1997年に独立し、まずは株式会社ディービーエムジー(現在のラフラインホールディングス株式会社)を設立し、代表取締役社長に就任しました。同社は医療機関に関する調査、医療機関の予約サイト運営や化粧品販売を中心としたビジネスをおこなっています。
その後さらに、彼はJSホールディングスを創業し、代表取締役に就任。同社がラフラインホールディングスに改名して現在に至っています。
※参考:http://www.laughline-hd.jp/
マッキンゼー出身の有名人⑭伊藤良二 氏
様々なキャリアを経て、出身校で教鞭を執っている方もいます。伊藤良二氏は複数社のパートナーや代表取締役の経験を経て、現在は慶應義塾大学の政策・メディア研究科非常勤講師ですが、一時は特任教授も務めていました。彼は同大学の工学部を卒業氏、その後シカゴ大学にてMBAを取得しています。
MBA取得後にマッキンゼーに入社。パートナーまで昇進を果たす中で、国内外大手企業の規制緩和や新規事業戦略、また合弁・提携といった様々な企業の重要戦略のコンサルを歴任しました。その後は1988年に上島珈琲店の商品開発担当の取締役に就任しました。
その後、1990年に、現在のベンチャーキャピタル「ペルミラ」の前身に当たるシュローダーベンチャーズの代表取締役に就任したのち、マッキンゼーと同じく戦略系コンサルとして名高いベイン・アンド・カンパニーに転職。1997年にディレクターとして入社したのち、最終的には日本支社長を務めました。2000年からは同社で働きつつ、冒頭に記載した慶應大の客員教授として招聘されています。その傍ら2006年以降はプラネットプラン(代表取締役)、株式会社レナウン(取締役)など、多数企業の代表取締役や役員を務めています。
また、これまでのコンサルや経営者としての経験や知見を活かして「成功するプラン」「コーポレイトブランド戦略」など著書の出版実績も豊富です。母校の慶應義塾大学では、慶應MCC「企業参謀養成講座」の講師として後進の育成にも励んでいます。
※参考:https://www.hugp.com/company/executive04.html
マッキンゼー出身の有名人⑮上山信一 氏
上山信一氏もまた学会に身を置いていますが、加えて政治関連のアドバイザリー関連の経歴の持ち主でもあります。現在は慶應義塾大学総合政策学部の客員教授です。
京都大学法学部を卒業後、当時の運輸省(現在の国土交通省)に入省し、そこから、1983年にプリンストン大学に派遣留学します。1986年に運輸省を退官したのちに、マッキンゼーに入社。2000年に退職するまで14年もの長期間にわたり同社に在籍し、大手企業だけでも20社以上のプロジェクトに参画しました。パートナーとして活躍する傍らで、行政改革に関する提唱などをおこない、「行政評価の時代」「行政経営の時代」という2冊の本も出版しています。
キャリアの後半に差し掛かると、福岡市の経営管理委員会委員、逗子市顧問を筆頭に政治関連の顧問・アドバイザリーの業務に携わるようになっていきます。同時に2000年にマッキンゼー退社後には、米ジョージタウン大学、慶應義塾大学、大阪市立大学大学院など複数の大学で教授を歴任しています。
この流れを引き継ぎ2007年以降は現職の慶應義塾大学総合政策学部の客員教授になり、その間も複数の自治体・政府関係の委員や顧問などとして招聘されてきました。2024年現在は同大学の名誉教授となっています。
※参考:https://shinichi-ueyama.com/
マッキンゼー出身の有名人⑯大前研一 氏
同じ学問の世界といっても、より経営に近い教育サービスを自前で立ち上げ、運営しているのが大前研一氏です。これまで単著だけでも数十冊の著書を出版しており、マッキンゼーOBの中でも知名度は高いのではないでしょうか。20年以上にわたり自身が設立した経営・マネジメント関連を中心とした教育機関を運営する株式会社ビジネス・ブレークスルーの代表取締役を務めています。
早稲田大学理工学部、東京工業大学原子核工学科大学院(修士)、マサチューセッツ工科大学原子力工学科大学院(博士)それぞれ修了したのち、一時同大学の講師も務めていました。その後一時は日立製作所に在籍したのち、マッキンゼーに入社したのは1972年。1994年に退職するまでに日本支社長やアジア太平洋地区会長を歴任します。一時は政治団体「平成維新の会」を設立し、都知事選や参院選に出馬するものの、当選には至らず解散。
その後、スタンフォード大学経営大学院の客員教授などを務める傍ら、1998年に自らビジネス・ブレイクスルーを設立。また2004年に同社が経営するビジネス・ブレイクスルー大学院大学を開校し、2010年には大学化。大前氏は同大学の学長も務めています。
非常に多くの著書を出版しており、代表的なものとしては「企業参謀―戦略的思考とはなにか」「考える技術」などがあります。
マッキンゼー出身の有名人⑰勝間和代 氏
一般的には今回紹介する方々の中でも最も知名度が高い方かも知れません。勝間和代氏は現在テレビ・雑誌などでも時折目にする経済評論家とした活躍する傍ら、株式会社「監査と分析」の取締役(共同パートナー)や、中央大学大学院の客員教授も務めています。
勝間和代氏は、慶應義塾大学商学部を卒業したのち、早稲田大学のファイナンスMBAを取得。そして大学在学中から太田昭和監査法人(現在の新日本監査法人)やアーサーアンダーセンといった監査法人に在籍。その後、1994年から現在のJPモルガン・チェースの前身に当たるケミカル銀行に金利トレーダーとして入行。その後1998年にマッキンゼーに転職します。
6年弱同社に在籍したのち、JPモルガン証券における証券アナリスト業務を経験したのち、投資顧問業・経営コンサルタントとして独立開業します。また、その一方でワークライフバランスや少子化対策といった社会的な課題に対する活動も実施。そして2007年以降に著した「無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法」「お金は銀行に預けるな」「効率が10倍アップする新・知的生産術」が相次いでベストセラーとなったことで、一般に知られるようになりました。
※参考:https://www.katsumaweb.com/
マッキンゼー出身の有名人⑱川鍋一朗 氏
続いては実家を建て直し「タクシー王子」という異名も獲得した川鍋一郎氏、彼の実家の家業は大手タクシー会社「日本交通」。現在は彼が同社の代表取締役を務めています。慶応大学経済学部を卒業したのち、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院にてMBAを取得しています。
MBA取得後の1997年にマッキンゼーに入社。しかしわずか3年ほどで退職し、家業である日本交通株式会社に入社します。専務から始まり2015年に現職である同社の代表取締役に就任。そのキャリアの中で、1,900億円の負債を抱えていた同社を急速に建て直したことで、経営者としての手腕の高さを知られるようになりました。
その経験をもとに「タクシー王子、東京を往く。―日本交通・三代目若社長「新人ドライバー日誌」という本も出版しております。また、プライベートでは中曽根元総理の孫・文子氏と結婚したことでも知られています。
※参考:https://myroad-online.jp/keyperson/kawanabe_ichiro/
マッキンゼー出身の有名人⑲川本裕子 氏
多数の有名企業の役員を歴任した経歴を持つ点が、川本裕子氏の特徴ですが、現在は日本の経済・経営学者、早稲田大学大学院経営管理研究科教授を務めています。東京大学文学部を卒業したのち、旧東京銀行(現在の三菱UFJ銀行の前身)に入社。その後、オックスフォード大学大学院を修了しています。
1988年にマッキンゼーに入社。その後、1995年〜1999年にはパリでの勤務経験もあります。また、2000年以降には「金融審議会自己資本比率に関するメンバー」をはじめ、複数の政治関連の団体・委員にも所属していました。
その後、2004年に早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授に就任する傍ら、三菱UFJフィナンシャル・グループ、ミレアホールディングス(現東京海上ホールディングス)、マネックスグループ、りそなホールディングス、ヤマハ発動機やパナソニックと多数の有名企業のアドバイザリーや役員、監査役などを歴任しています。
※参考:http://www.yuko-kawamoto.jp/
マッキンゼー出身の有名人⑳木南陽介 氏
最後に紹介する元マッキンゼーの著名人は、環境関連ビジネスで長年活躍している木南陽介氏。現在は、自身が設立した株式会社レノバのCEOを務めています。
1998年に京都大学総合人間学部を卒業後、すぐに新卒でマッキンゼーに就職します。ただし、大学時代から環境問題に強い興味を抱いており、当初よりゆくゆくは環境関連のビジネスをおこなうことを検討していました。実際にマッキンゼーを2年ほどで退職すると、2000年5月30日「ごみゼロの日」に現職の前身にあたる「リサイクルワン」を設立しています。
同社は元々は環境・エネルギー関連の調査・コンサルティングをおこなっていましたが、2012年ごろからは現在の主力ビジネスとなっている再生可能エネルギーの発電事業に軸足を移しています。2024年には東京ガスが同社に出資し、創業者である木南氏に次ぐ第2順位の株主となったことが報じられました。東京ガスは業務提携に基づいて、同社開発の国内陸上風力発電事業への新たな出資参画と共同開発を通じ、今後も連携していく方針です。
※参考:https://www.renovainc.com/corporate/management/
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>マッキンゼー・アンド・カンパニーの詳細情報
https://www.axc.ne.jp/consul/map/strategy/mckinsey/
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今回は、代表取締役、CEOなど企業のトップを務めた経験のある方を中心に、マッキンゼー・アンド・カンパニー出身者20名の経歴を紹介しました。コンサルファームの最高峰の一つであるマッキンゼーの退職者には、退職後にも素晴らしい経歴を残している方が数多くいます。
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